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郷愁の大怪獣

小学校4年生の冬だった。

親父に頼み込んで連れて行って貰った映画館。

 

タイトルは『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』。

何時頃の回だったろうか、まばらな人影に薄暗いロビー、物販ではたしか限定ソフビ人形が所狭しと並べてあった今はなき新宿コマ劇場

コマ劇場跡地、なんで満喫になってしまったん。

 

タバコ臭いジャケットを着た親父に手を引かれてスクリーンへ向かう際、ハム太郎好きなあの子に自慢しようと密かに楽しみにしていたゴジハム君は貰えなかった。

それにしてもゴジラの着ぐるみ着たハム太郎が特典って意味わからないと小学生ながらに思ったものだ。今でも意味わからんし。

 

スクリーンへ入ると既に同時上映のハム太郎が終わる頃合い。

親父は息子がハム太郎見たいだなんて知らずにわざと時間をずらしたのだろう。最初から入場してればゴジハム君貰えたかもしれなかったのに。

 

席について数分でゴジラは始まった。

親父はアウトドアな人間でいつも色々な所へ連れて行ってくれた。

私が一人で旅をするのもそんな父の影響なのだろうか。

そんな背景もあってか映画の中でよく印象に残っているシーンはバラゴンと戦う箱根・大涌谷であったり、キングギドラの眠る富士の樹海のシーンだった。

モスラのシーンと映画の結末は一切覚えてないけど一方的に蹂躙されるバラゴンや金粉を振りまき空を舞うキングギドラの荘厳な姿はよく覚えている。

映画の結末を覚えていないのは親父にねだったポップコーンのバケツを一人で食べきって体調不良に陥ったから。

もう今は走っていない全身オレンジの中央線を途中下車して駅のホームでゲロ吐いたのは死ぬまで忘れないよ。親父。

今でもシナモンの匂いするとゲロ吐きそうになるんだ。

 

 

時は過ぎて現代。

2016/7/29。当時は天真爛漫、怖いものなど何もない少年だった私も鬱屈とした顔をして電車に揺られるサラリーマンになっていた。

たまたま半休だった私が足を運んだのは立川シネマシティ。全国屈指の音響設備を誇る劇場だ。

お目当ては公開初日『シン・ゴジラ』、どうせつまらないと予防線を張りつつも隠し切れないその胸の高鳴り。あの日、立川には小4の私がいた。

 

コーラ片手にニコ動モチーフのスクリーンを眺めてガッカリしつつも開始数分で怪獣が出てきたことに興奮を隠せない。

高鳴る鼓動、高まる期待、これはゴジラだ。間違いない。そして上陸した怪獣。

 

キモッ………

 

現代のビル、家屋、そしてスクリーンに映る画質に対して明らかに古臭く映る弱そうで気持ち悪い怪獣。初代リスペクトにしてもこれはないだろう。

こいつをゴジラが倒すにしてもきっと力量が違いすぎて一瞬で勝負がつくのではないかと思っていた。そして明かされる秘密。キモ怪獣こそがゴジラ。なんでや。

 

話は進みどんどん進化するゴジラ

その最終形態は肉によって目は隠され、熱線放射時の口は三方向に開き、アンバランスなサイズの尻尾を振るうこれまでのカッコ良いゴジラとは程遠いものであった。

私の中でのゴジラ像はゴツゴツした黒い皮膚に鋭い眼光、一歩一歩に迫力があり、背びれを青白く光らせ放射する熱線がカッコ良い大怪獣だったのだが今作のゴジラはこれまでのゴジラのパチもん、白目剥いたCGデブ恐竜としか思えなかった。

唯一良いと感じた赤みを帯びた皮膚もCGを使いすぎているせいか非常にチープな映りだった。特撮ってなんだっけ。

 

話はクライマックス。

ゴジラに薬物を経口投与して凍結、動かぬゴジラと共存する道を選んだ人類の戦いはこれからも続く!エンド。

カタルシスも何もない終わり方に非常にガッカリしてエンドロールを眺めていた。

Twitterではゴジラに造詣の深いフォロワーが過去作のBGMに興奮したとつぶやいていたがにわかの私には他の映画よりエンドロール短かった程度の感想しか持てなかった。

 

映画館を出てそこにいたのは社会人の私。

斜に構えて素直に映画を楽しめず否定的な感想ばかり並べるひねた男だ。

前を走る小学生は当時の私の幻影か、怪獣映画を楽しんだ後の母子だ。

自虐的な笑みを浮かべTwitterを開く私。

 

親父、インターネットへ場所は移ったけど今日も僕は元気にゲロ吐いてるよ。